イチロー選手(45)が引退を発表されました。イチロー選手と言えば振り子打法が代名詞で、2000年に新庄選手と並んで日本人野手初のメジャーリーガーとなりました。(正式契約はイチロー選手が早いです。)
私は新庄選手のファンでもありましたが、新庄選手は記憶に残る選手。イチロー選手は記録に残る選手という感じでしょうか。イチロー選手にいたってはすごすぎて記憶にも記録にも残りますね。
イチロー選手が残した数々の記録を紹介したいと思います。
引用元:Wikipedia
イチロー選手について
愛知県出身であり、「イチロー」と言えば誰もが知っているプロ野球選手です。代名詞とも言われる振り子打法(足を振り子のようにしてタイミングを取る打法)でヒットを量産。
おまけに選球眼が良く、足も速い。そして守備も上手くて肩も強い。正に野球のスーパーマン。後述しますが、日米で数々の記録を打ち立てました。
そんな誰もが認める天才イチロー選手ですが、その影には並々ならぬ努力があったんだと思います。名言の中に「99%の努力と1%の才能」なんて言葉がありますが、イチロー選手にも当てはまるんじゃないでしょうか。
NPB時代
イチロー選手といえばオリックス。当時の球団名はオリックス・ブルーウェーブで、登録名を「イチロー」としたのは1994年。日本人選手として初の苗字を除いた登録でした。
1994年にNPBシーズン最多安打記録を210本に更新。後に阪神タイガースのマートン選手、西武ライオンズの秋山選手に破られる事となりますが、この記録は当時の130試合制としては唯一の記録です。
そしてこの年の打率はなんと…
.385! 三割八分五厘! さんわりはちぶごりん!
翌1995年は阪神・淡路大震災が発生した年でもあり、イチロー選手自身も被災しました。この年、オリックスは「頑張ろうKOBE」を合言葉にスタートし、イチロー選手自身も首位打者、盗塁王、最多安打、打点王、最高出塁率の打者5冠を達成し、残る本塁打王のタイトルもトップと3本差というもう少しで打者タイトル総なめという物凄い記録でした。
その後も1996年には3年連続MVP、1997年には216打席無三振の記録を作り、三振率にいたってはNPB記録でわずか8%程。100回打席に立って8回しか三振しない計算に。
1998年には史上初の5年連続首位打者を獲得。1999年にはNPB史上最速での1,000本安打達成。
2000年には驚異の打率.387を記録。この年ポスティングシステムを利用し、メジャー挑戦を表明。同年11月にマリナーズと正式契約し、日本人野手として初のメジャーリーガーとなりました。
MLB時代
当時は日本人の野手がメジャーで通用するのかという点で日米問わず声が多く、マリナーズの当時の監督でさえそこまで期待はしていなかったそう。
マリナーズ時代
2001年4月の開幕戦でメジャーリーグデビューし、2安打1得点の結果を残し、別の試合では右翼から3塁を狙った選手を素晴らしい送球で刺し、このプレーで自らの肩力を見せ付け、レーザービームという言葉が生まれた瞬間となりました。今でも「イチロー レーザービーム」と検索するとこのプレーの動画がたくさん上がっています。
4月、5月には2ヶ月連続で月間新人MVPを獲得。オールスターではファン投票で両リーグ最多票を獲得して選出。
シーズンを通して242安打を打ち、メジャーの新人最多安打を更新。タイトルもMVP、首位打者、新人王、シルバースラッガー賞、ゴールデングラブ賞と数々のタイトルを獲得。1年目ながら打率も.350を記録。チームの地区優勝に貢献しました。
メジャー2年目の2002年はチームは低迷するも、208安打を打ち、前年を下回るものの打率は.321を記録。
2003年はメジャー通算500安打を達成し、オールスターにも選出。3年連続で両リーグ最多票を獲得。打率は前年を更に下回る.312を記録。
そして2004年。日米通算2,000安打を達成。月間56安打のタイ記録に並び、シーズンが終わってみると262安打を打ち、シーズン最多安打記録を84年ぶりに更新するという離れ業。今もこの記録は破られていません。そして打率も自身メジャー最高の.372を記録。
このシーズンイチロー選手はシーズンを通して月間で50本以上安打を打った月が3度あり、史上初の記録でした。
2005年にメジャー通算1,000安打を達成。打率こそ.311に終わりましたが、15本塁打、12三塁打は自己最多を記録。5度の200安打、100得点、30盗塁は89年ぶり、連続記録としては史上初。
2006年にはWBC日本代表に選出され、アメリカ戦では先頭打者ホームランを放ち、打率.364を記録し、外野手部門のベストナインに選出されました。レギュラーシーズンにおいても45盗塁、打率.322を記録。
2007年はシーズンを跨いでの45連続盗塁を達成。オールスターでは史上初のランニングホームランを記録しました。
2008年には史上初の両リーグ最多安打を達成し、3割、200安打、100得点、30盗塁、ゴールデングラブ、オールスター選出を8年連続と伸ばしました。
2009年は2度目のWBC選出。日本の連覇に大きく貢献しました。しかしその後体調を崩し、自身初の故障者リスト入り。復帰戦では満塁ホームランを打ち、自身の持つ連続試合安打の球団記録を27試合に更新しました。驚いたのがNPB・MLBを通して初の退場処分となった事。ストライクの判定に疑問を抱いたイチロー選手がバットでホームベース横を指してボールが通ったのはここだと示したんですが、退場処分に。
2010年はメジャー通算1,000得点を達成。200安打、3割、オールスター選出、ゴールデングラブ賞の記録を10年連続に更新。
そして2011年。4月に良いスタートを切ったイチロー選手でしたが、5月以降は低迷が続き、終わってみれば184安打で打率.272という結果に。同時に10年連続で更新し続けていた200安打、3割、オールスター選出、ゴールデングラブの連続記録も10年で途絶えてしまいました。
普通に考えればメジャーで184安打、打率.272でも十分すごいと思いますが、イチロー選手だっただけに当時は非常に驚きました。イチロー選手でも衰えはやってくるんだな…と。
2012年についても調子が上がらず、打率は前年を更に下回り.261に。そんな中でも史上4番目の速さで2,500安打を達成されました。
ヤンキース時代
2012年シーズン途中からヤンキースへのトレード移籍が決定。背番号は31番となりました。この年メジャー通算100号本塁打を記録。ヤンキース移籍後は打率も.322を記録。
2013年には移籍後初のサヨナラホームランを打つ等、メジャー通算2,000試合出場を達成。そして日米通算4,000本安打も達成しました。
2014年は143試合の出場で102安打、打率.284を記録。オフシーズンにFAとなりました。
マーリンズ時代
2015年マーリンズに移籍し、背番号は51番に戻りました。開幕戦で代打出場した際にファンは総立ち。イチロー選手も感動した瞬間でした。
自身最低の打率.229にとどまるも、メジャー通算250回の1試合3安打を達成。メジャー通算3,000本安打に65本と迫ります。
2016年アジア人として初のメジャー通算3,000本安打を達成し日米通算700盗塁、日米通算4,257安打がギネス記録に認定される等、数々の記録を打ち立てる年に。
2017年に日米通算5,863塁打を打ち、王さんの持つ日本記録を日米通算で更新。守備では右翼手として史上8人目となる4,000刺殺を達成。
マリナーズ復帰
2018年15試合に出場し、打率.205に留まり、5月にマリナーズのスペシャルアシスタントアドバイザーに就任。残り試合に出場しない事が発表されました。
これにより、連続年本塁打数は26年、連続年盗塁は25年、打点に関してはプロ入り後初の0となりました。
現役引退発表
そしてイチロー選手にも遂にこの瞬間がやってきました。2019年3月21日東京ドームでの試合中に速報が流れ、試合終了後に引退会見を開き正式にイチロー選手の現役引退が発表されました。日米共に衝撃のニュースとなり、アメリカでも大きく報道されています。
日本人でもメジャーで通用するという事を実績と記録を持って証明してくれました。
個人的にはものすごく寂しい事ですが、イチロー選手が日本へもたらした影響は計り知れないと思います。本当にお疲れ様でした。
さいごに
数々の実績と記録を打ち立ててきたイチロー選手。NPBで活躍されていた頃、私は小学生でしたが、当時からイチロー選手のニュースが無い年はありませんでした。
草野球なんかでもイチロー選手のフォームを真似る子、左打席に立つ子、背中側で補給するイチローキャッチを皆でチャレンジしてみたり。当時からイチロー選手のスター性、影響力は大きかったです。
イチロー選手の今後には注目したい所ですが、これだけ数々の功績を残された方なので、自分の為に時間を使って欲しいと思います。