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スーパーカブ:1億分の1の物語 – もっき家編
スーパーカブ。それは日本人にとって最も親しみのあるバイクでは無いだろうか。
新聞配達のバイクに郵便配達のバイク。私たちが生活している上で現在も昔も一日に一回は遭遇しているであろうそのバイクは、意識しないと気付かない程に日本の生活に溶け込んでいる。
そんなスーパーカブシリーズは2017年に累計生産台数1億台を達成。
私も昔からスーパーカブに慣れ親しんだ一人であり、夜更かしの際には3時頃に聞こえてくる新聞配達員が乗ったスーパーカブの音を聞いて「そろそろ寝ないと…」なんて思っていた。
私の初めてのバイク
そんな我が家にスーパーカブがやってきたのは私が高校卒業を控えた高校3年の冬頃だった。
原付の免許はというと、普通自動車免許を取得後にオマケ的に付いてきた特典のようなもの。
春から専門学校へ進学。新生活を控えた私への親父からのプレゼントというには余りにも汚れていたソレは、親父が知り合いに頼んで譲ってもらったボロボロの緑のスーパーカブだった。
前オーナーは畑仕事で使用していたそうだが、使わなくなって以来何年も倉庫で眠っていたとかで軽トラで運ばれてきたボロボロのスーパーカブを見た親父の顔が何となく嬉しそうだったのを覚えている。
日が落ち、辺りが暗い中で親父はガソリンタンクのキャップを開け、何年も放置されていたガソリンが異臭を放つ中、ボロボロのスーパーカブの車体を大きく左右に揺らす。
チャプ…
チャプン…
「ガソリンは入っているな…」親父はそう呟き、カブのキックペダルに足を掛けた。
ガコン!
プス…
ガコン!
プスン…
アクセルを開けながらキックペダルを踏みこんだ瞬間だけわずかにヘッドライトが点灯する。
ガコン!
…
ガコン!
プス…
「もう少しで掛かりそうなんやけどなぁ…」と親父。
いい加減寒くなってきた。
こんなの本当に走れるんだろうか、と疑問に思っていたが、その瞬間は突然訪れた。
ガコン!
プス… プスン…
ガコン!
ブス… ブス… ブロロロロロロロ…!!!
「「掛かった!!」」と二人。
今でもその瞬間は鮮明に覚えている。
エンジンの掛かったカブに跨り、空気の無いタイヤをぺちゃんこに潰しながら親父が家の前の道で円を描く様に旋回している。
「凄い!普通に走れるぞ!」と、親父が一番はしゃいでいた様に思う。
広がった世界
あれから数日後、バイクに対してあまりに無知だった私の代わりに当時フュージョンだったか、フォルツァだったかを乗っていた親父は緑のスーパーカブを乗れる状態にしてくれていた。
ハンドルの握り方、方向指示器の出し方といった基本的な操作を親父に教わる。キックペダルでのエンジン始動は思いの外簡単にできた。
その他に、バイク乗りの心得のようなものを教わった。
- バイクでの一旦停止は必ず足を地面に付ける癖を付けろ
- 後方を走る車両をミラーで都度チェックする
- 前方を走る車両のミラーに写る相手が見えるようにしろ。そうすれば相手からもお前が見えている
- 前方車両がバイクだった場合も一列に並ぶのではなく、ミラー越しに相手の顔が見えるようにしろ
中型二輪免許を持っている母親から「車の運転は上手じゃないけど、バイクの運転は上手い」と言われていた親父からの教えは、先輩ライダーとして説得力があり、いつもとは違って素直に頷いていたのを覚えている。
そして、初めて乗るバイク。少なからず恐怖感はあったのかもしれないが、今では全く覚えていない。
移動手段が自転車から原付バイクに変わった私の世界は、今までとは比べ物にならない程に大きな広がりをみせた。
通学の相棒と初めての事故
片道2~3キロ程の最寄り駅までの相棒となってくれた緑のスーパーカブは、それから二年間、雨の日も雪の日も故障無く私を運んでくれた。
在学一年目で中型二輪免許を取得し、同じくホンダのアメリカンバイク、シャドウ400を購入したが、通学の相棒は変わらずスーパーカブだった。駐車場に困るといった点もあったが、車庫からの出し入れや取り回しが圧倒的に快適だったからだ。
唯一の不満は制限速度が30キロだという事。田舎なので二段階右折が必要な道路は見た事が無かった。
今でこそ雨の日にバイクに乗るのは億劫だが、当時は移動手段を選べる程選択肢が無かったので合羽を着て通学し、不思議とすぐに慣れていった。
そんな生活が続き、在学二年目の秋頃。小雨が降る中、初めての事故を起こしてしまう。
中央線の無い小道で、前方を走る車両が左折しようと指示器を出していた。
前方から車両の接近が無い事を確認した私は、その車両を右側から追い抜こうとアクセルを回した。
すると、前方の車両が左折する際に大きく右側に膨らんできたのだ。特に左折するのに難しいとは思わなかった交差点だったが、前方車両の運転手と私の思いには相違があった。
前方車両に接触しない様にハンドルを切ったが、雨で濡れていた路面に足を取られ、前輪が滑る。
一瞬視界が飛び、スーパーカブと私は側溝に嵌ってしまった。着用していた合羽は大きく破れ、後から気が付いたが腕は大きく擦りむき、血が出ている。
転倒してしまった事に対する恥ずかしさからか、その時は痛みを感じなかった。
前方車両の運転手は車から降りてくると「当たってませんよね?」と確認し、走り去った。
側溝から出したスーパーカブは元気にしていたが、レッグシールドが割れ、左側のシフトペダルが曲がってしまっていた。
それでも走行に支障は無く、スーパーカブは私を家まで無事に運んでくれた。
別れ?
スーパーカブの「スーパー」は超人的な意味なのかもしれない。
我が家にやってきた時はボロボロだったスーパーカブも、部品の破損はあってもエンジンがかからなかったり、止まったりする事は一度もなかった。
そんな相棒スーパーカブとの別れは突然だった。
無事に就職先が決まり、春からは車通勤になるからだった。別れとは言っているが、何というか、恋愛でいう自然消滅に近い。
日々の移動手段が車に変わり、休日の趣味の時間に乗るのはシャドウ400。もちろんカブは気に入っていたが、乗る機会はずっと減っていった。
そしてシャドウ400もSR400へと変わる。その間もスーパーカブは自宅にあった。
乗らなくなっただけで別れとは少し違うかもしれない。
そして…
白いナンバーが付いたスーパーカブはいよいよ終わりを迎えるのである。
…
……
そう。
いつの間にか黄色ナンバーが付いていた。
新たなる発進
私が乗らなくなってからあのスーパーカブは親父の通勤バイクへと変貌していた。既にCC110クロスカブを通勤バイクにしていた親父の2台目カブとしてエンジン調整を行い、排気量は52ccに。
手続きを済ませ、スーパーカブには黄色のナンバープレートが付いている。唯一私が不満だった30キロの速度制限がなくなったのだ。
あれから数年。私は結婚し、引っ越す事になったが、スーパーカブと別れの言葉は交わさなかった。
それから家を建て、妻は大のバイク嫌いだが将来バイクを置けるようにガレージも建てた。
息子が生まれた。
妻は「息子は絶対にバイクに乗せない」と言っている。息子がバイクに乗りたいと言い出したら止めてくれと。
そんな先の話は分からないが、私の息子である以上バイクに乗りたいと言い出すのは間違いないだろう。
私は妻の話に適当に相槌を打ち、(息子がバイクに乗りたいと言い出したら、その時は親父の形見になっているであろう、あのスーパーカブに乗せてやろう)と心の中で思うのだった。
その名はCT125
SR400もあまり乗らなくなっており、何の変哲もない毎日を送っている中で、私は衝撃的な出会いを果たす。
…これがカブ?
何これカッコイイ。
そう、私が一目惚れした相手の名前は「CT125ハンターカブ」
乗る機会が減った400ccのバイクを所有している程勿体ない事は無い。とはいえバイクを手放したくはない。
小さなバイクへのダウンサイジングを検討していた私の中にそのハンターカブは土足で踏み込んできた。
家計からその一切の費用を払わない代わりに妻からは思いの外、簡単に承諾を得た。
最早私に何の障害も無い。
1週間程検討を重ね、ドリーム店でハンターカブを注文。結果的に納車まで約6ヶ月の期間が掛かったが、カスタムパーツを考えたりしている内に案外あっという間に納車となった。
SR400はセルスタート機能が装備されていなかったので、まずはエンジン始動のし易さに改めて感動した。
次に車体の軽さと取り回しの良さ。身体とバイクが一体になっているのが分かる。シート高が高く、足つきは良いとは言えなかったが、車体の軽さからか全く気にならなかった。
ロッドホルダーやリヤキャリアを取り付け、釣りに、キャンプとアウトドアで大活躍。
休日の楽しみと待ち遠しさがぐんっと上がった。
親父のクロスカブ、あのスーパーカブ、私のハンターカブ。3台の内、2台でラーツーによく出掛けるようになった。
息子とカブでツーリング。親孝行になっているとは思わないが、私もいつか息子とこんな事をしてみたい。
親父と私。親子2代で3台のカブ。
我が家の1億分の1の物語はまだまだ終わらない。
《完》
https://twitter.com/Mokki_7/status/1401818058696527873
おわりに
多少雑にはなってしまいましたが、我が家の1億分の1の物語をご紹介させていただきました。
1億分の1の物語と聞くと少し大げさかもしれませんが、そのカブ1台1台に思い出があるはず。
もしよろしければ貴方の1億分の1の物語を私のブログで紹介させていただけませんか?
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内容は1,000文字~5,000文字程で、ご興味のある方は こちら 又はTwitterにてお気軽にご連絡下さい。
それでは最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。